304年 李雄が成都王を称する。
同年、匈奴左部の酋長劉淵が自立して漢王を称する。
308年 劉淵が平陽に都を定めて大漢皇帝と自称する。
310年 劉淵が死ぬとその子の劉聡は兄の劉和を殺して位を継ぎ、中原各地の晋軍に容赦のない攻撃を加え始める。
311年 劉聡の部将の羯部の石勒は、苦県に東海王越、太尉王衍の率いる晋軍を捕捉して、死者十余万に及ぶ大殲滅戦を展開し、ついで劉聡の一族の劉曜の率いる別軍は、勝ちに乗じて晋都洛陽を攻め落とし、懐帝を捕虜とし市街を焼き払い、殺戮暴行の限りを尽くした。
316年 劉曜を将とする匈奴軍がたちまち長安に殺到して、先の日の洛陽と同じ殺戮暴行が繰り返され、愍帝は降って捕らえられ、やがて殺される。
318年 漢主劉聡は病死し、太子の劉粲が位についた。
319年 劉曜は長安に帰ると、ここに都を定め、国号を趙と改めた。
同じ年の冬、石勒が趙王の位に就いた。これを後趙という。
328年 後趙の中山公石虎は、兵4万を率いて趙の領内に攻め入り、趙の五十余県がこれに応ずるという勢いであった。
329年 劉曜の太子も石虎に捕らえられて殺された。
330年 石勒は皇帝の位についた。そして、世子の石弘を太子とし、その子石宏を大単于にした。中山公石虎は中山王になった。
333年 石勒が死んで太子の石弘が立つと、石虎は徐光らを捕らえて殺した。
334年 成の李雄が死ぬ。
337年 鮮卑の慕容皝が燕王となる。
338年 李雄の甥に当たる李寿が帝位に就き、国号を漢と改めた。
343年 李寿が死に、太子の李勢が位を継いだ。
346年 桓温は漢に出兵した。
348年 慕容皝が死に、世子慕容儁が位を継いだ。
349年 石虎は皇帝の位に昇ったが、間もなく死んだ。
350年 石閔みずから立って皇帝となり、姓を冉と改め、国号を大魏と称した。
慕容儁は後趙の乱れに乗じてこれを討ち、大いに破って領土を中原に向かって進め、薊に都を移した。
351年 苻洪が部下の将に毒殺されて、世子の苻健が位を継ぐと、都を長安に定め、国号を大秦と号した。
352年 燕王慕容儁は子の慕容恪らを遣わして大魏を討たせた。
同年、苻健が皇帝の位に昇った。
354年2月 桓温は大軍を率いて秦討伐の途に上った。
355年 秦の苻健が死んで、太子の苻正が位に就いた。
356年 晋では、桓温を征討大将軍に任命して姚襄を討たせた。
360年 慕容儁が死に、大子慕容暐が即位。
369年 桓温は歩兵・騎兵合わせて5万を率いて燕を攻めた。
同年冬、秦王苻堅は大いに怒り、王猛らを将として燕を伐たせた。
382年 苻堅が群臣を大極殿に集めて、大いに晋遠征のことを議した。
383年 苻堅は晋討滅の軍を出発させた。
407年 匈奴の赫連勃勃が、陜西の地に大夏を建てる。
429年 魏は大軍を起こして柔然を攻めた。
430年 魏が柔然と戦うのを見た宋の文帝は、好機と見て北進の軍を起こし、河南の地へ攻め入らせた。
同年冬10月 黄河が氷結すると、魏軍は退去して河南に逆襲し、再び四鎮を奪った。
431年春正月 宋の勇将檀道済は四鎮のうち滑台を奪い返し、各地に転戦して大いに魏軍を破ったが、やがて兵糧が尽きて後退せざるを得なくなり、滑台は三たび魏軍の手に落ちた。
魏が大夏を滅ぼす。
436年 魏が北燕を滅ぼす。
439年 魏が北涼を滅ぼす。
442年 宋は兵を出して、仇池に拠って勢いをふるっていた楊難当を攻めた。
443年 宋が仇池を奪った。
449年 魏は大軍を起こして柔然を攻めた。
450年春正月 魏軍は大挙して淮水の流域まで南下し、懸瓠・寿春などを奪った。
夏4月、魏軍が引き揚げていった後、文帝は再び王玄謨に勧められて、北伐の軍を起こそうとした。
冬になると、太武帝は自ら軍を率い、黄河を渡って凄まじい勢いで南下した。
451年春正月、太武帝は諸将を瓜歩山に集めて論功行賞をし、黄河の氷結がとけぬうちに引き揚げていった。
452年 魏の太武帝が中常侍の宋愛に殺される。
466年 晋安王・子�未瞭睛陲�起こったとき、魏では宋から逃れてきた義陽王・昶を擁立して宋へ入れようとした。
493年 孝文帝は都を洛陽に移すことを決意した。
9月 孝文帝は南征の大軍二十万を起こし平城を出発した。
495年9月 北魏の百官がすべて南下して遷都が完了した。
499年 孝文帝が崩じ宣武帝が即位した。
515年 宣武帝が崩じて孝明帝の治世となる。
528年 爾朱英は洛陽に侵入して宮城を占領し、霊太后と幼主孝昭帝を河に沈め、王公百官二千余人を屠殺して暴虐をほしいままにし、洛陽の人々を恐怖のどん底に陥れた。
530年 宮中に呼び寄せた爾朱英の隙を狙って、孝荘帝自ら刃を振るいこれを誅殺した。
534年 高歓は、自分の権勢が盛んなのを怖れた孝武帝に自分を除こうとする企みがあるのを知ると、再び兵を挙げて洛陽に迫ったので、孝武帝は洛陽から長安に出奔して、関西大都督の宇文泰を頼り、宇文泰を大丞相として国を保った。
洛陽に入った高歓は、北魏宗室のひとり孝静帝を擁立したが、ついで都を鄴に写して新しく東魏の国を建てた。
同じ年、宇文泰は孝武帝を毒殺した。
535年 宇文泰が孝武帝のいとこに当たる文帝を擁立し、西魏の国を建て、ここに北魏は東魏・西魏に分裂した。
550年 東魏は、高歓の子である高洋のために国を奪われて北斉と改められる。
554年 西魏の宇文泰の部将宇謹に江陵を攻められて元帝は降伏し、ついで殺される。
557年 西魏は、宇文泰の子である宇文覚のために国を奪われて、北周と改められる。
573年 宣帝は呉明徹に命じて斉を討たしめた。
581年 楊堅は、周の幼い静帝の禅譲を受けて帝位に就き、隋帝と称して隋の国を建てた。
589年 文帝が陳を滅ぼし、天下を統一した。