松田憲雄
昭和15年1月25日、第50期偵察練習生入隊式。
昭和16年4月1日、第2艦隊第2航空戦隊の空母「龍驤」乗組の発令を受ける。
昭和16年10月1日、「赤城」臨時乗組となる。
昭和16年11月10日、「赤城」正規乗組となる。
昭和16年12月8日、第1次攻撃隊水平爆撃隊第2中隊として参加。
操縦:松浦清一飛。
0.2秒遅発信管をつけた800キロの艦船用徹甲弾を装備。
昭和17年1月20日、「赤城」水平爆撃隊第2中隊第2小隊2番機電信配置としてラバウル空襲に参加。800キロ爆弾装備。
昭和17年2月19日、「赤城」水平爆撃隊第2中隊第2小隊2番機としてポートダーウィン空襲に参加。800キロ爆弾装備。
昭和17年3月3日、「赤城」第2中隊第2小隊2番機としてジャワ島南端チラチャップ港の艦船空襲に参加。800キロ徹甲弾を装備。
昭和17年4月5日、セイロン島コロンボの港湾施設空襲に参加。操縦:松田清。800キロ弾を装備。
昭和17年4月9日、ツリンコマリーの港湾施設空襲に参加。
昭和17年5月1日、13年志願の飛行兵は三等飛行兵曹に任官し、セーラー服を脱いだ。
昭和17年6月24日、「翔鶴」臨時乗組を命ぜられる。
昭和17年10月26日、「翔鶴」艦攻隊第2中隊第1小隊2番機として雷撃に参加。
昭和17年11月1日、階級呼称の改正により3等飛行兵曹から2等飛行兵層と呼称が変更。
金沢秀利
昭和15年11月、「飛龍」乗組。
昭和16年、福建省南平(ナンピン)爆撃に参加。60キロ爆弾6個装備。
操縦:住友上飛曹。
昭和16年12月8日、艦攻隊第2中隊2番機として参加。魚雷装備。
操縦:笠島上飛曹。
昭和16年12月、ウェーキ島爆撃に参加。25番陸用爆弾を装備。
昭和16年12月、ウェーキ島敵情偵察に参加。
操縦:笠島上飛曹。
昭和17年1月下旬、アンボン島爆撃に参加。25番徹甲弾装備。
昭和17年2月19日、ポートダーウィン空襲に参加。250キロ陸用弾を装備。
昭和17年3月3日、ジャワ島南岸チラチャップ攻撃に参加。250キロ弾を装備。
昭和17年4月5日、「飛龍」艦攻隊2中隊としてセイロン島コロンボ強襲に参加。250キロ爆弾を装備。
操縦:笠島上飛曹。
昭和17年4月9日、イギリス空母の敵情偵察に出撃。
昭和17年6月5日、ミドウェイ島爆撃に参加。
昭和17年10月14日、ルンガ飛行場爆撃に参加。
昭和17年10月21日、「隼鷹」に転勤。
昭和17年10月26日、アメリカ空母雷撃に参加。
岩井勉
昭和16年5月、一等航空兵曹。
昭和17年11月、「瑞鳳」への乗組が発令。
昭和18年2月18日、「瑞鳳」戦闘機隊がニューギニア島のウエワクへ派遣。
昭和18年4月、飛行兵曹長。
昭和18年5月2日、第1航空戦隊が内地へ引き揚げる。
昭和18年7月9日、「瑞鳳」呉を出港。
昭和18年10月28日、第1航空戦隊の飛行機隊がラバウル進出の命令を受ける。
昭和19年8月16日、601空に転勤命令が出る。
昭和19年10月18日、「瑞鶴」に着艦。
昭和19年10月24日、敵部隊攻撃隊援護に参加。
小瀬本國雄
昭和16年3月下旬、「加賀」乗り組みを命ぜられる。
昭和16年秋、「蒼龍」乗り組み。
昭和16年12月8日、第2次攻撃隊「蒼龍」艦爆隊として真珠湾攻撃に参加。
昭和17年、アンボン攻撃に参加。
昭和17年2月19日、ポートダーウィン攻撃に参加。
昭和17年、特務艦攻撃に参加。
昭和17年3月5日、ジャワ島西部南岸のチラチャップ港攻撃に参加。
昭和17年4月5日、セイロン島沖の巡洋艦攻撃に参加。
昭和17年4月9日、英空母ハーミス随伴の輸送船攻撃に参加。英戦闘機と交戦。
昭和17年5月、「隼鷹」へ転勤を命ぜられる。
昭和17年6月4日、ダッチハーバー攻撃に出撃。P-40戦闘機と交戦。
昭和17年6月5日早朝、ダッチハーバー攻撃に出撃。
昭和17年6月5日午後、ダッチハーバー攻撃に参加。
昭和17年10月26日午前7時、第1次攻撃隊として米空母攻撃に参加し、米戦艦攻撃。
昭和17年10月26日午後1時30分、第3次攻撃隊として米空母攻撃に参加。
昭和18年6月初旬、宇佐海軍航空隊へ転勤を命ぜられる。
昭和19年2月下旬、「隼鷹」乗り組みを命ぜられる。
昭和19年6月19日、第2次攻撃隊として米機動部隊攻撃に出撃したが、脚故障のためヤップ基地に着陸。500キロ爆弾装備。
昭和19年10月初旬、「瑞鶴」乗り組みを命ぜられる。
昭和19年10月25日、米機動部隊索敵に出動。
白浜芳次郎
昭和18年12月8日、第1航空戦隊付けを命ぜらる。
昭和19年2月 空母「翔鶴」乗り組みに決定。
昭和19年6月19日、第1次攻撃隊として米機動部隊攻撃に参加し、米戦闘機と交戦ののち、「飛鷹」続いて「瑞鶴」に帰艦。
昭和19年6月20日、艦隊上空直援のため「瑞鶴」より発艦し、米戦闘機と交戦ののち着水。
岩本徹三
昭和16年、空母「瑞鳳」戦闘機隊に所属
昭和16年6月4日、空母「瑞鶴」に転勤を命じられる。
昭和16年12月8日、機動部隊上空の哨戒を命じられる。
昭和17年1月21日、空母「瑞鶴」はカビエン、ラバウル両地区攻略戦に参加
昭和17年1月23日、ラエ飛行場攻撃に制空隊として参加
昭和17年4月5日、セイロン島コロンボ爆撃時、艦隊上空警戒を割り当てられる。
森拾三
昭和16年9月、空母「蒼龍」に転勤せよとの電報が届けられる。
昭和16年12月8日、雷撃隊として真珠湾攻撃に参加
昭和16年12月8日、ウェーク島爆撃に出撃
昭和17年4月9日、ツリンコマリー爆撃に参加
昭和17年6月5日、ミドウェイ等爆撃に参加
昭和17年7月、航空母艦「隼鷹」に乗り組みを命ぜられた。
昭和17年10月17日、ガダルカナル飛行場爆撃に参加、負傷の後、ガダルカナル島付近海上に不時着
原田 要
昭和16年9月18日、航空母艦「蒼龍」への転勤を命じられる。
昭和16年12月8日、機動部隊上空の哨戒を命じられる。
昭和16年12月22日、ウェーク島攻撃隊の直援として参加
昭和17年4月5日、セイロン島コロンボの攻撃に参加
昭和17年6月5日未明、上空哨戒に発艦後、最発艦し敵雷撃機を迎撃、再々度発艦し上空哨戒、飛龍から哨戒のため4度目の発艦
昭和17年秋、「飛鷹」に到着
昭和17年10月17日?、ガダルカナル島に揚陸のアメリカ軍攻撃の艦攻の直援として参加
昭和17年10月、ブーゲンビル島ブイン基地に進出
昭和19年5月10日午前、「隼鷹」に着艦
昭和19年6月19日、機動部隊攻撃に出撃し、敵空母を爆撃
阿部善次
昭和16年4月、「蒼龍」から「赤城」に転勤して艦爆中隊長になる
昭和16年12月8日、「赤城」第2波の艦爆第2中隊長として参加
昭和17年1月22日、ニューアイルランド島カビエン爆撃に参加
昭和17年4月5日、英重巡爆撃に参加
昭和17年4月9日、英ハーミス爆撃に参加
昭和17年4月20日、佐伯海軍航空隊付を命ぜられる
昭和17年6月5日、ダッチハーバー爆撃隊を指揮する
昭和17年6月、大湊帰投航海中に「飛鷹」の分隊長への転任辞令を受ける
町谷昇次
昭和18年5月、「翔鶴」に転勤
昭和5年6月1日、予科練習生の第1期生が横須賀航空隊に入隊した。
1期生は、74倍の激甚な競争率をくぐり抜けた79名が採用された。
当時、一般の海軍志願兵の採用年齢下限は17歳だったが、少年航空兵はそれを15歳に下げた。
「予科練習生」の名称で、まず"3年間"の特別教育を実施する。
この座学教程が終わると、約"半年間"海上に出て、艦隊その他の艦船で艦務実習を行い、海軍軍人らしい潮気をつける。
これら基礎教育を終えた後、はじめて航空兵本来の「飛行練習生」へと入った。
約"1年間"、操縦と偵察に分かれた専修教育で、こうして"4年半"の全過程を卒業すると「海軍3等航空兵曹」に任官し、実施部隊へ配属される。
1名欠けた78名が卒業した。
その32年後に日華事変が始まると、1等航空兵曹に進級して従軍し、さらに太平洋戦争を戦った。