第三艦隊は、南雲、草鹿がアメリカ空母に対する仇討ちを第一に考えていたということがソロモン戦域における大きなマイナス要因になったことは間違いない。
第8艦隊・第8根拠地隊麾下の第84警備隊ガ島派遣隊(247名)は、当時ルンガ川河口近くの西方に本部を置いていた。
また火砲装備も、全部で高角砲6門、山砲2門にすぎず、とうてい眼前の敵に抗しえないことをさとった。
一木支隊約2000名、横須賀鎮守府第5特別陸戦隊616名をもって即時奪回の方針が決定された。
一木支隊の戦闘序列は、歩兵第28連隊、工兵第7連隊第1中隊、および独立速射砲連隊第8中隊からなり、人員約2000名、支隊長は歩兵第28連隊長一木清直大佐であった。
一木支隊をグァムからトラックまで運んだのは、本来なら同部隊を内地に輸送するはずであった「ぼすとん丸」「大福丸」という2隻の輸送船であった。
両船とも最高速度9.5ノットという船脚のきわめておそい輸送船であって、戦機に投じた上陸部隊を急送するには資格に欠けるといえた。
海軍と協議したすえ、一木支隊を2梯団にわけることが決められ、第1梯団916名を6隻の駆逐艦に分乗させて先に送ることになった。
上陸地点はガダルカナル島東海岸タイボ岬とし、第1梯団の上陸は8月18日の夜と決定された。
一木支隊の第2梯団および横須賀鎮守府第5特別陸戦隊(一中隊欠)の上陸は、船団輸送によることとされた。
すなわち、輸送船「ぼすとん丸」および「大福丸」によって、16日、第1梯団と同時にトラックを出港、途中で13日にグァムを出発した横須賀鎮守府第5特別陸戦隊と合同し、22日、同じくタイボ岬に上陸する、という計画だった。
一木支隊先遣隊第1梯団916名を分乗させて、8月16日午前5時、トラックを出発した6隻の駆逐艦「陽炎」「嵐」「萩風」「谷風」「浦風」「浜風」は、ガダルカナル島に直行すべく、予定の航路を進み、翌17日午前10時30分ごろ、赤道を通過した。
第1〜第4中隊=各105名【99式小銃】、機関銃中隊(機関銃8)=110名【92式重機関銃か?】、大隊砲小隊(歩兵砲)=50名【2個分隊で92式歩兵砲2門か?】
一木支隊先遣隊第一梯団の8月18日タイボ岬
ただちに上陸を開始して、午後11時、予想上陸地点付近に総員ぶじ集結を完了した。
イル川(中川)付近の戦闘から離脱して後退した者と監視の任務をあたえられて最初から上陸地点(タイボ岬)に残されていた者を合わせると、一木支隊先遣隊の生存者は128名であったとされる。
別働隊は、同時に船団を襲った。
輸送船中のもっとも大きい「金龍丸」の後部に一弾が命中した。
「金龍丸」はたちまち大火となり、搭載していた弾薬も誘爆したらしく、航行不能の状態に陥った。
このような状況下におかれた田中増援部隊指揮官は、第30駆逐隊および哨戒艇1号、2号に「金龍丸」の救援を命ずるとともに、その他の輸送船「ぼすとん丸」および「大福丸」は、第34駆逐隊、および第35哨戒艇をもって護衛の上、北西方に避退させた。
連隊本部=連隊砲中隊【41式山砲か?】、速射砲中隊【改造94式速射砲か?】、機関銃中隊【92式重機関銃か?】
第1大隊=隊直轄に大隊砲中隊、(重)機関銃中隊
第2大隊
第3大隊
軽機関銃と擲弾筒分隊は各中隊にある。
川口支隊(歩兵第124連隊)は、輸送船「浅香山丸」および「佐渡丸」に分乗し、8月16日午前10時パラオを出発、20日朝トラックに入港した。
川口支隊は、8月24日午前10時、2隻の輸送船「浅香山丸」「佐渡丸」に分乗して、第20駆逐隊の護衛のもとにトラックを出港した。
このときの予定では28日夜ガダルカナル島上陸となっていた。
第17軍司令官百武中将は、26日すでに洋上にあった川口少将に対して、「川口支隊は約一大隊を洋上において駆逐艦に移乗し17日夜『ガ』島に上陸せしめ、残余は『ラバウル』に前進、海軍艦艇に移乗の後、速やかに『ガ』島に上陸して現任務を遂行すべし」という命令を発令した。
この軍命令をうけた川口少将は、第124連隊第2大隊を、4隻の駆逐艦「夕霧」「朝霧」「天霧」「白雲」に移乗させた。
これらガダルカナル島に向かう第2大隊を乗せた駆逐隊とわかれた支隊主力乗船の輸送船2隻は、予定のとおり進路を転じてラバウルを指した。
8月28日午前1時30分、トラックよりラバウルに入港した川口支隊は、一部をラバウルにおいて駆逐艦に移乗させて直路ガダルカナル島に先行させ、主力は輸送船でショートランド島に前進した後、駆逐艦に移乗してガダルカナル島に到達するよう指示された。
これをうけた川口清健少将は、124連隊第1大隊を、ちょうどラバウルに入泊していた第11駆逐隊の「吹雪」「白雪」「初雪」の駆逐艦に移乗させて、28日午後1時30分、同泊地を出港させた。
先にトラック沖で第124連隊第2大隊を移乗させた第20駆逐隊の駆逐艦4隻は、その後もガダルカナル島を指して直進していた。
第20駆逐隊は、28日午後2時30分から4時の間に、ツラギ北西50〜60カイリ付近の洋上において、約20機にのぼる敵機の猛爆をうけることになった。
午後2時30分ごろから、ほぼ2時間にわたる戦闘で「朝霧」沈没、「白雲」大破、「夕霧」中破、という大損害を出した。
「天霧」のみが無疵であった。
「朝霧」は日没近くになってから直撃弾をうけたらしい。
第1弾は右舷門付近に命中し、缶室まで貫通して大火災が起きてしまった。
第2弾はさらに致命的であった。
前部連装魚雷発射管を直撃して魚雷が誘爆、船体は二つに割れ、ほとんど瞬時にして沈没したといわれる。
「朝霧」沈没に伴う川口支隊の人的被害は、死亡63名、重傷5名。
大隊砲2門【92式歩兵砲か?】と弾薬のすべてを海底に沈めてしまった。
28日、ラバウルで第11駆逐隊「吹雪」「白雪」「初雪」に移乗した川口支隊の第2梯団(第1大隊)は、既定の方針どおり、29日午前10時、ショートランド島を出港した。
一木支隊第2梯団の一部を乗せて、いったんショートランド島を出港しながら、途中で反転、前夜帰投した第24駆逐隊の「海風」「江風」がこれに加わった。
また一木支隊第2梯団の残部を乗せた哨戒艇4隻も、午後2時ごろ、ショートランド島を出港した。
川口支隊・歩兵第124連隊第1大隊の主力(約450名)および一木支隊第2梯団の一部(約300名、速射砲4門)が、29日午後10時30分、ガダルカナル島のタイボ岬に無血上陸した。
この命令にもとづき支隊主力1016名は、8月30日午後8時ごろから各駆逐艦に移乗した。
そして、翌朝8時を期し、いっせいにショートランド島を出発した。
損傷をうけてトラックに帰った「神通」の護衛に任じていた「涼風」も、この朝の輸送に参加し、輸送総員は約1200名におよんだ。
9月1日には駆逐艦「浦風」「谷風」「浦波」「敷波」をもって川口支隊・第124連隊第1大隊の残り465名を、翌2日には敷設艦「津軽」および駆逐艦「陽炎」「夕暮」、哨戒艇2隻をもって野戦高射砲、人員150名および弾薬糧秣の輸送を実施し、いずれもガダルカナル島東海岸タイボ岬付近に無血上陸させることに成功した。
【一木支隊2000、横五特616、川口支隊3700、75�仍核�4門、37�仟�射砲8門、歩兵砲20門、重機関銃16門、軽機関銃・擲弾筒多数】