【P19】
新たに開発された76�仞鐚嵋い蓮�既にM6重戦車(1942年5月制式化:但し量産に至らず)及びM10戦車駆逐車用(1942年6月制式化)として3インチ対空砲M3(M1917型3インチ対空砲より発展)から転用開発された3インチ戦車砲M7よりも、軽量小型化され、より車載に向いた設計となっていた。
弾頭は共通だったが、3インチ砲がボトルネックの薬莢を使用するのに対し、76�佶い任魯好肇譟璽箸別�莢が用いられた。
弾頭口径は3インチ砲と同じ76.2�个世�、3インチ砲との兵站上の混乱を避けるために「76�仞鐚嵋ぁ廚噺鴇里気譴襪海箸砲覆襦�
1942年8月1日に、幅の狭い防循のM34砲架を装備するM4A1軍登録番号W-3060572に試作76�仞鐚嵋�T1を搭載しての試験が行われたが、長大な砲身(57口径長)が災いして砲塔のバランスが著しく悪く、また砲尾の後部にスペースが足りないことも指摘された。
この試験の結果を受け、砲身長は15インチ短い52口径にされることになった。
兵器局は砲自体の性能は良好と判断し、8月17日にこの試作砲を76ミリ戦車砲M1として制式化、1000輌の76�佶�M4中戦車を生産する計画を立てた。

【P20】
ウォーターグリード工廠で3インチ対空砲をベースに製作された試作76�仞鐚嵋�T1。
57口径長という長大な砲身を、それまでの75��M4中戦車シリーズ用砲塔に収めることは困難を極め、ブレスド・スチール社は様々な手段を用いて搭載を試みることになった。

【P28】
1943年3月に試験されたM4A1(76M1)の失敗で頓挫しかけていた76�佶�M4中戦車計画は、機甲軍デバース少将の兵器局への熱心な働きかけでT23試作中戦車砲塔をM4車体に載せることにより再開された。

【P32】
来るべきフランス上陸作戦にあわせて、4月10日、英本土にM4A1(76)の第1次生産分130輌が到着した。
英国での性能披露に続き配備分決定についての会議が先鋒をつとめるオマール・ブラッドレー中将率いる米第1軍とジョージ・S・パットン少将率いる米第3軍で行われたが、ドイツ軍戦車との交戦経験の乏しさとドイツ戦車の進化についての情報不足から「当座は75�佶�M4中戦車で充分、76�佶�M4中戦車については上陸後に落ち着いてから完熟することでいいだろう」という意見が大半を占めた。
米第3軍でも新編される独立戦車大隊ならば装備可能(少なくとも「現役の機甲師団においては76�佶�M4中戦車は不要だ」とも取れる)という判断となった。
かくして130輌のM4A1(76)は、受け取り手が無いままに以降3ヶ月もイギリスで宙に浮いた状態となった。
1944年6月に開始された北西フランス・ノルマンディー上陸作戦には76�佶�M4中戦車は参加していない。

フランス上陸後、ドイツ戦車部隊と遭遇した米第1軍はその火力と装甲防御力に愕然とした。
75�佶�M4中戦車では装甲貫徹力が足りず、敵を撃破する前にやられてしまうのである。
上陸部隊ではこれに対して、より強力な装甲貫徹力を持つ戦車を必要としたため、イギリス本土で埃を被っていたM4A1(76)を急遽実戦投入することになった。