【P29】
文王から武王の代にかけ、軍師として重きをなしたのが、太公望である。
その名は呂尚、かつて渭水のほとりで釣り糸をたれていたところ、たまたま通りかかった文王に見出されたという。

【P30】
のち、呂尚は大名に取り立てられ、「斉」の国を開いた。

【P31】
殷の故地には、再び反乱が起こることがないように、周公の弟の康叔が封ぜられた。
これが「衛」の国のおこりである。
しかも殷の祭祀が絶えることのないように、殷王の一族(紂王の兄)を商邱(しょうきゅう)に移して、新しい国を建てさせた。
これが「宋」の国のおこりである。

「杞」の国は夏(禹)の子孫であり、「陳」の国は舜の子孫である、と伝えられていた。

【P35】
周公は曲阜に封ぜられ、「魯」の国をおこした。

召公は、今の河北の地に封ぜられ、「燕」の国をおこして、東北への押さえとなった。
また成王の弟たる唐叔は、今の山西の地に封ぜられて、「晋」の国をおこした。

【P71】
晋と楚とが対立し、互いに覇を争っている間に、新しい勢力が長江の下流、江南の地に興ってきた。