これより前、昭和14年5月1日付で、私は海軍三等航空兵曹に任じられている。
当時、三等下士といえば、もっとも優秀な海軍軍人で、4年以上経過し、かつ試験に合格したものでなければ、詰め襟、鍔つきの三等下士には進級できなかった。
ところが、我々は1年半ちょっとで三等兵曹に進級したから、階級マークの上には、3年に1本つく山形の善行章がついていない。

そして昭和15年5月1日、海軍2等航空兵曹となった。

ところが、昭和16年5月に1空曹に進級すべき私は、入院9ヵ月ということで、進級は見合わせとなり、結局、同期生から取り残されてしまった。

10月1日には、私も、同期生に半年遅れたとはいえ、昇進して海軍1等航空兵曹になった。

昭和17年11月になると、1空曹はあらためて「上等飛行兵曹」と呼ばれることになった。

私は、昭和18年11月1日に進級し、晴れて海軍飛行兵曹長になっていたのである。

もともと昭和15年に9ヵ月間ほど戦傷で入院していたので、既に同期生より半年は進級が遅れていたのである。

昭和20年5月1日、『海軍少尉に任ず』の辞令を受けた。