【P82】
 昭和16年12月8日午前0時、「○○○○時になりました」と、信号長が緊張した声で、艦長と、当直将校に届けた。

【P87】
 敵の哨戒艇は、3百トン余の小型船ながら、近距離の水平射撃のため、致命傷をなかなかあたえられない。
 必死になってビクトリア港内に、避退しようとしている。
 僚艦の「電」も、砲戦にくわわってきた。
 敵艦は、そのうち火災を起こし、停止してしまった。
 乗組員が上甲板を走りまわり、海中に飛び込んで、船を放棄するらしい。
 そのときである。
 ズズーン―突如、聞きなれない砲声が、重々しくわが艦を圧した。
 駆逐艦の砲声は何年間も聞き馴(ママ)れているから、これと性質の違うものは敏感に聞き分けることができる。

【P120】
 西方攻略軍は、1月10日の夕刻、タラカンに進入して投錨した。
 上陸部隊は、右翼坂口部隊、左翼は呉2特の牧内部隊が競いあって上陸を開始したが、敵はわが方の利用を阻止するため、自らの手で油田を爆破した。
 両翼部隊とも、11日午前零時ごろまでには上陸に成功したが、堅固な防備網をしき、必死に迎撃する敵軍のため、上陸地点からの進撃は苦戦となった。
 戦闘は12日の朝までつづいたが、各方面から進攻するわが軍の猛攻に、敵の指揮官は、全面降伏を申し出てきた。
 これによって、第1護衛指揮官は、残りの部隊、物資などを陸揚げするため、船団をさらに進める必要から、タラカン港域の掃海を第11掃海隊に命じた。
 第11掃海隊はただちに掃海を開始し、旗艦「那珂」は、この掃海水道に進出していった。
 正午ごろ、「那珂」の前方を港内に向けて進入していた第13号掃海艇が、とつぜん2,000メートルぐらいの至近距離にある陸上の砲台から、猛烈な砲撃を浴びた。
 続行する第14号掃海艇とともに陸上砲台と交戦したが、12センチ砲1門、25ミリ機銃5門の軽装備であるうえに掃海索を曳航しているので、運動も自在にならない。
 そのため多くの砲弾をうけ、火災となって、機関や舵が破壊され、速力が急速に低下してしまい、敵の命中弾はますます激しくなった。
 第14号掃海艇は、艦橋、中部、さらに後部に積んでいた爆雷にも命中して誘爆した。
 全艇、火につつまれながらも、前部に1門ある12センチ砲を射撃しながら、敵砲台にむかって進もうとしたが、敵の機雷に触れて沈没してしまった。
 第13号掃海艇も、機関や舵を破壊され、停止してしまったので、すべての敵弾が命中し、大半の兵員が戦死する中で、前部の砲撃をつづけたまま沈没していった。
 この壮烈な死闘を、約20キロ離れた位置で目撃していた「那珂」や第2駆逐隊は、機雷原であることと、敵砲台が死角に入っているため、救援することができなかった。
 この戦闘で、第11掃海隊の司令・山隈中佐以下、156名の戦死者を出し、掃海艇2隻を失った。
 生存者は53名にすぎなかった。
 12日の夜、タラカン港外を行動中の駆逐艦「山風」が、オランダ敷設艦プリンス・オラーニュ(1,291トン)を捕捉撃沈し、掃海隊の仇をとったのがせめてもの慰めであった。

【P159】
 第6駆逐隊の各艦は、昭和7年に就役した特型駆逐艦として、一時代を画した花形だが、いまでは艦齢も10年となり、人間では中年過ぎといったところだ。
 排水量1,980トン、5万馬力のタービン機関で、38ノットの高速は出せるが、燃料の消費も大きい。
 第7駆逐隊の「潮」型とともに、短距離選手といわれ、最近竣工して就役した「江風」とか「雪風」型に花形の座をゆずり渡したところであるが、乗員の練度については自負するところがある。
 燃料は、最新式の甲型という「江風」などより、搭載量が50トンばかり少ないので、接敵行動の高速を長時間つづけると心細くなり、すぐに補給をうけるということになる。
 直接、燃料の使用にたずさわる機関長以下の機関科員は、つねに、節約に並なみならぬ努力と工夫を凝らしている。

【P193】
 なお、この3月1日の昼戦は、あくまでも私の記憶を中心にまとめたものであるが、現存の先任将校・浅野大尉や、航海長の谷川中尉によれば、「雷」は砲撃も、魚雷の発射もしなかったという。
 また、挿入した行動図は公刊戦史によるものだが、私の記憶では「雷」は敵艦の北側を行動したように思うし、はたして「電」といっしょだったかどうかも疑問で、戦史にもいろいろあいまいな点があるのではないかと思われる。

【P200】
 重大任務の第一段階を終え、ほっと一息ついた原少将は、従兵が運んできた遅い夜食のソウメンを食べ終わると、後ろに立っていた先任参謀の由川中佐を振り返り、
 「セサ、つぎの部署は」といった。

【P201】
 そして、「おうッ」と、大きく答え、頭を前後に振った原司令官のようすから、了承だとみて、
 「ツサ(通信参謀)、電報、第二兵力部署となせ、二三五○」
 と、通信参謀に令した。
 
【P202】
 5水戦に所属している駆逐艦は旧型で、主砲は12センチ、魚雷は6年式53センチである。
 3水戦の「吹雪」型も主砲は12.7センチだが、魚雷は90式60センチで、6千メートルの馳走距離であった。

【P215】
 濃霧と巨大なうねりの難所を千数百カイリ、半分になった駆逐艦を後ろ向きに引っ張って走る航海は、大変な仕事である。
 (中略)
 しかし、第18駆逐隊を仕留めて意気揚がる敵の潜水艦が、たえず接触しているらしい。
 いままで真後ろについていたとおもっていると、うねりに流されて、わが「雷」の前方に、急に飛び出したりする。

【P216】
 大湊には多くの駆逐艦が入港していたが、たまたま桟橋で、同郷の後輩である栄君に出合(ママ)った。
 彼の話では、ミドウェイ沖で「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4空母と、重巡「三隈」が沈んだので、乗員は全員、とうぶん上陸が許されないだろうということであった。
 (中略)
 大湊から横須賀に帰り、対空火器の増設工事を終えた第6駆逐隊は、ソロモン方面の部隊に改編された。

【P221】
 その他、下士官兵の交代もあったが、新たに25ミリ機銃を6門搭載したので、これの配員として20数名が増加した。

【P226】
 この総攻撃に策応して、わが第6駆逐隊に、ルンガ岬の近くに突入して、海上から敵陣を砲撃する任務があたえられた。
 (中略)
 この命をうけて、われわれは踊りあがった。

【P227】
 対陸上砲撃は、大仰角で発射し、弾丸を爆弾のように大角度で陸上に落下させる射法となる。
 これは、まったく演習したこともない射撃なのだ。

【P232】
 「命中だ、急げ」
 砲術長みずからが、伝声管から怒鳴った。
 「そらッ、笹口、命中だ」

【P288】
 18歳で志願して海軍に入り、6ヵ月間の基礎教育を海兵団でうけて、艦隊乗り組みとなり、2、3年もたつと、海軍の各科学校の普通科練習生として約7ヵ月間の専門教育を身につけ、専掌特技兵として、各配置の中心的兵力として働くようになる。
 この時代が、20歳ころである。
 それから2、3年して下士官となり、高等科または専修科などの教程をへて、下級幹部として、重要な配置について艦の生命を握るようになる。
 このころが25、6歳である。
 (中略)
 年齢が30歳を越すような老兵は、特務士官、兵曹長のほか、先任下士官の1、2の人だけだ。
 士官も、

【P309】
 こんなに明るい笑い声が出るのは、何日ぶりであろうか。
 夜食も、当直員を交代して食わせてやるわけだが、下りてくる者は、申し継ぎもいいかげんに、
 「ヘラヘラヘッタラ横須賀だ。艦長サンよ有難う」
 などと、わざと艦橋に聞こえるような大声で、ふざける奴もいる。

【P311】
 「まったくよ、山いかばだ。いまの艦スケがきてから、ちっともツイてないぜ」

【P313】
 後になっての話だが、当直の見張員は、燈台の光らしいと、早くから報告してあった。
 ところが、
 「馬鹿者ッ、燈台は右に見えるはずだ。星だろう」
 と、艦長に一喝されたので、その後、どんどん近づいても黙っていた。
 ちょうど夜食の交代時機(ママ)だったので、みんながそわそわしていたし、直前に陸影を見て報告したとき、当直将校が「後進一杯」を令しても、遅かったということである。