名称未設定
【P254】
 (前略)転勤先は鹿島航空隊ときまる。二座水偵の操練である。

【P256】
これまでは乙飛で三年、甲飛で一年半の予科練生活をおくり、さらに一年におよぶ飛練延長教育をうけたと聞く。その当時は同期生も、二百名から三百名くらいで、文字どおり掌中の珠として、育成された、という。
 一方、私たち甲飛十三期(松山空、昭和十八年秋の入隊)は採用人員も三千二百余名にのぼる膨大さであり、短期速成のゆえに娯楽面はいっさいけずられて、必要最小限の訓練のみ課せられることとなった。
 
【P257】
(前略)過去の思い出となると、わずか一年三ヵ月の練習生時代をおいはない。

【P264】
もともと左0.5、右0.8の視力しかなく、受験する資格さえなかった私は、視力検査をうまく友人を代人にたててのがれきったものの、その入隊時よりもさらに視力が落ちていることを知っていた。

【P271】
見れば一級上の池田さんである。階級章は一等整曹、私より後に整備練習生となり、卒業すると一整曹になったという。ところが、こちらはまだ飛長、水兵帽が情けない。

【P275】
(前略)同期のT飛長と三人の一飛曹が教員配置となって練習生分隊に去った。
(略)
 そして、この日から特攻隊となるむねの達しがあり、4月1日付で私たち飛長は二等飛行兵曹に任官した。
 これで私たちは一ヵ月ほど得をしたわけであるが、特乙は一年もはやい任官となった。

【P278】
高度計はこれまでの訓練で使った「白菊」とちがって、十メートル単位の二針型である。

【P281】
 もとより私は操練だったので、前後席に操縦装置のある“練観”に乗ることもあった。(前略)上空で操縦桿をまかしてもらう楽しみもある。
 おかげで操縦訓練もやることができた。
(略)
 ある日のこと、藤田信雄中尉の航空記録を見せてもらったことがある。

【P282】
なかでも潜水艦勤務で、零式小型水偵による米国オレゴン州爆撃のくだりが光っていた。だが、ご当人は闘志をひめた、ものしずかな人であった。
(略)
 (前略)大きな青大将を捕まえて、

【P298】
すぐにも搭乗できるのたが、きょうばかりはなんとしても乗りたくない。
(略)


【P306】
 鹿島からの操縦員は水戦の「強風」乗り組みとなっていた。
(略)
 鹿島からの操縦員が「強風」に初搭乗するというので指揮所へ行った。
 まずは御大の藤田中尉が試飛行をする。さすがに中尉はなんでもないように飛び上がり、はやくもスタントをはじめる。
(略)
 だが、ほかの人はそうはいかない、滑走だけである。

【P317】
玄海空は零水偵、瑞雲などで沖縄へ夜間爆撃をつづけているとのこと、敬意を表してひき下がったのである。

【P326】
鹿島(第二河和の誤りか)空搭乗員