【P59】
 1942年初頭、日本軍は香港やシンガポールでイギリスの掃海艇何隻かを捕獲した。
 これら掃海艇には最新型の磁気機雷用の掃海具が装備されていたために、日本海軍は直ちにこの機雷を手本にして3式掃海具をコピー試作した。

【P90】
 もう一つの最新型の機雷にカプセル型機雷がある。
 この機雷についてはまだ多くの部分が機密扱いになっており、概念的なことしか分かっていない。
 この機雷は今後広く使われる可能性を含んでいるが、概念的な機能は、一種のホーミング魚雷をカプセルに収納して海底に敷設したもので、魚雷には目標の接近・探知装置(センサー)を内蔵させ、敷設と同時にセンサーをパッシブモードに切り替えるのである。
 敵艦船が接近する信号(音響、水圧、磁気等の変化)が受信されると、その目標を攻撃するべきかを判断し、攻撃可能と判断した場合にはカプセルから機雷(一種の高速魚雷)が発射され、目標に向かって進み相手を正確に攻撃するのである。
 この機雷の敷設深度は最大300mとされ、有効攻撃範囲は敷設位置を中心に半径1,000m以内とされている。
 つまり機雷とはいいながら極めて能動的な機能を持った一種の魚雷なのである。
 2010年3月に朝鮮半島の西側の黄海沿岸で韓国の哨戒艇「天安(チョンアン)」が正体不明の爆発で一瞬にして沈没するという事件が発生した。
 韓国当局はこの爆沈事件の原因は小型海軍潜水艦が放った魚雷によるものと喧伝した。
 しかしその後の更なる調査の結果、この撃沈事件は最新のカプセル型機雷による攻撃ではないかという説が強まっている。

【P91】
 中国製Yu-2型カプセル型自走式機雷
 全長:4000mm、直径:450mm、重量:200�圈∂斂�量:150�圈⊃綯翅�力:70ノット[時速120�辧蓮⊆幼�:1,000m

【P92】
 カプセルに収容される機雷の本体の要目はアメリカ海軍のものについては概要が知られている。
 それによると機雷(実質的には一種のホーミング魚雷)の全長は4m、直径45�僉�弾頭に装填される炸薬量は200�圈⊃篆蔑呂魯蹈吋奪箸汎韻犬�固体燃料で行われ、水中速力は約70ノット(時速129��)という性能の持ち主であるが、主要海軍では最新の機雷として詳細は機密とされている。

【P121】
 航空魚雷も様々な改良が加えられ、太平洋戦争中の日本海軍の主力として使われた91式3型魚雷は全長5.3m、直径46�僉∩棺杜�840�圈∂斂�量235�圈∈蚤膽幼�は雷速42ノット(時速78��)で2,000mであった。
 この魚雷の駆動方式は失式加熱方式で、最高投下許容高度200m、投下時の機体の許容速度は時速454�劼箸いΧ砲瓩胴眄�能な魚雷であった。
 この91式航空魚雷の最強のタイプは双発大型攻撃機が搭載を専用とする大型魚雷で、全重量1,060�圈∂斂�量420�圈⇒訛�41ノットでの射程は1,500mというもので、その破壊力は91式3型魚雷の2倍近かったのである。

【P141】
 イギリス海軍の誇りである巨大戦艦2隻が、日本海軍航空隊の雷撃機の魚雷攻撃で失われたことは、イギリスにとっては極めて大きな衝撃であった
(中略)
 この時使われた魚雷は91式改2魚雷という航空機専用の魚雷で、駆動装置は湿式加熱式であった。
 その仕様は、全長5.5m、直径45�僉∩棺杜�852�圈∂斂�量240�圈⊆幼�:42ノットで1,500m、魚雷投下時の航空機許容最大速力:時速647�圈�許容最大投下高度300mという高性能魚雷であった。

【P153】
 第2次大戦中でドイツ潜水艦が常用した魚雷の炸薬量は240〜300�圓任△襦�
 日本海軍の潜水艦が常用した魚雷の炸薬量は500�圓任△辰拭�
(中略)
 つまりドイツ海軍の魚雷はそのほとんどが商船攻撃用に使われたことになり、大型艦艇に比べるとほとんど防御鋼板を備えていない商船の攻撃には、この程度の炸薬量で十分であったといえよう。

【P178】
 ホーミング魚雷は魚雷の弾頭に相手側が発生する様々な音源(主体は機関音やスクリューの回転音)を探知し、これを追跡する機能を持たせた魚雷で、相手を確実に撃破することができると考えられている魚雷である。
 ホーミング魚雷は当初は潜水艦が発射する魚雷の命中率を向上させるために、潜水艦が水上を航行する艦船を攻撃する際に、発射した魚雷が相手の発生する音源を探知し目標に向けて自動的に走行することができる魚雷として考え出されたものであった。
 ホーミング魚雷の研究は既に第2次世界大戦当初からドイツやアメリカで開発が進められていたが、実用化に漕ぎ着けたのはドイツ海軍が多少早かった。
 1943年にドイツ海軍は潜水艦用の魚雷に、試験的ではあるがホーミング装置を備えた魚雷を装備させ実戦で使用した。
 しかし結果は芳しいものではなかった。
 その原因は、例えば敵艦船の探知能力と魚雷の速力とにアンバランスが生じ、正確な目標探知ができなかったこと。
 あるいは内蔵された聴音器が海底からのエコー、あるいは海水の温度差などにより生じる境界層での複雑な反射音の影響に対し対応ができなかったことがあったからである。
 この問題はドイツ海軍ばかりでなくアメリカ海軍も解決に苦悩したものであった。
 結果的にはドイツ海軍は戦争終結時点まで完全なホーミング魚雷を完成することはできなかった。
 一方のアメリカ海軍もドイツ海軍と大同小異の状態にあったが、多少の改善が進められ、航空機から投下される対潜水艦用ホーミング魚雷の完成を見ており、新しく開発された自動潜水艦探知装置であるソノブイと合わせ、大西洋海域である程度の戦果が確認されている。

【P204】
 日本海軍では太平洋戦争の全期間を通じ前投射式爆雷の開発はなかった。
 その理由としては、従来の爆雷の機能の発想を転換するような、積極的思考がなかったと考えるべきなのであろう。
 ただ極めて原始的な前投射式爆雷の考えは、戦争の後半に一部陸軍に徴用された輸送船で実用化されていた。
 それは商船の船首甲板に陸軍の迫撃砲(70�弌�88�佛�撃砲)を1門配置し、航行中に針路の前方(距離200〜500m)にこれら迫撃砲弾を打ち出すのである。
 弾着した弾丸は海中で爆発するが、これは爆発音で敵潜水艦を威嚇する意味合いが強く、とても攻撃兵器になるものではなかった。

【P212】
潜水艦攻撃の実例
その1 アメリカ潜水艦トラウト(S202)の撃沈
 1944年2月29日の午後5時48分、船団護衛中の駆逐艦「朝霧」は、左舷真横約1,200mの位置に潜水艦の潜望鏡を発見した。
 「朝霧」は直ちに速力を30ノットに増速し、深度60mにセットした2式爆雷を艦尾に装備された1基の両舷用爆雷投射器にセットし、潜航推定位置上に達すると投射した。
 また同時に爆雷投下器からも爆雷を連続して2発投下した。
 「朝霧」は敵潜水艦の移動を推測しながら繰り返し爆雷攻撃を行ない、合計12発の爆雷を投下した。

【P221】
 開発が進められていた5t爆弾の最終的な姿は特異なものであった。
 全長6.4m、直径90�僂稜�弾の実重量は5.4t、充填される炸薬の量は3.8t。
 爆弾の外型は完全な紡錘型で、先端のほうが太く爆尾に近づくほど細くなっていた。
 爆尾には4枚のヒレが取り付けられ、それぞれ数度の角度が付けられていた。
 この爆弾はイギリス空軍によりその形状から「トールボーイ(背高のっぽ)」と名付けられていた。
 完成当初この爆弾を高度5,000m以上から投下すると、途中音速に達した時点で衝撃波のために弾道が不安定になることが判明した。
 そのために弾尾のヒレに数度の角度を付けることにより、爆弾は垂直降下に際して回転運動を起こし、弾道は安定し落下速度は完全に音速を超えることになった。
 この音速を超える速度で落下する重量爆弾は強力な貫通力を持ち、高度6,000mから落下すると、地中深く27mまで潜り込むことが証明された。
 そしてこの時の爆発で弾着地点から半径130m付近まで地中と地表は、強力なハネ上げ効果が起き大規模に破壊されることも証明されたのである。
 このハネ上げ効果はこの爆弾の極めて特徴的なもので、一種の地震効果を起こすものということもできた。
 (この1年後に同じ形状の10t爆弾が完成したが、この爆弾は同じ高度から投下した場合、地中に40mも潜り込み、爆発によって弾着地点から半径200mにわたって地面に強力なハネ上げ効果が起きることが証明された。
 まさにこの爆弾は命名されたとおり「地震爆弾」であった。)
 この爆弾は1944年6月から使用が開始され様々な目標に投下された。
 最も多く使われた目標はロリアンやブレストの潜水艦基地の強靭なコンクリート製の潜水艦格納庫(ブンカー)であった。
 これらのコンクリート施設は、幅30m、長さ200m、水面から天井までの高さ15mという巨大格納庫で、天井の厚さは5mの厚さの鉄筋コンクリートになっていた。
 この施設の破壊のために過去にもイギリス空軍爆撃隊は、大量の1,000ポンド(454��)爆弾を投下したが、効果は全くなかった。
 イギリス空軍はこの施設の破壊をトールボーイ爆弾に期待した。
 そしてこの大型爆弾が搭載可能な唯一の爆撃機であるイギリス空軍のランカスター爆撃機が、1発ずつのトールボーイを搭載し、編隊で高度6,000mから攻撃を開始した。
 この爆撃効果が連合軍側の目に写ったのはこの地域を占領してからであった。
 爆撃結果は衝撃的であった。
 トールボーイ爆弾は音速で厚いコンクリート格納庫に命中すると、そのまま5mの天井を貫通していた。
 そしてブンカー内に弾着した爆弾の爆発のハネ上げ効果で、全長200mの天井の数万tのコンクリートはすべて格納庫内に落下し、中に停泊していた数隻の潜水艦の全てを押しつぶしていたのである。
 イギリス空軍はこの爆弾の地震効果(ハネ上げ効果)を最も有効に使う戦術を考え出した。
 ノルマンジー上陸作戦が展開されている中で、上陸地点から50�厠イ譴織襦Ε◆璽屮觜粗發紡真瑤離疋ぅ諜�雷艇が集結していることが確認された。
 しかしこれらの魚雷艇は昼間は見事な偽装の中にあり、航空機攻撃がしにくい状況にあった。
 そして夜になると多数の魚雷艇は出撃し、ノルマンジー半島の上陸地点付近で連合軍側艦船に対し執拗な雷撃を繰り返し甚大な被害を与えていた。
 1944年6月14日の夕方、魚雷艇が出撃準備を開始したタイミングを狙い、15機のイギリス空軍のランカスター爆撃機が各機1発ずつのトールボーイ爆弾を搭載しル・アーブル港の上空に現れた。
 ランカスター爆撃機は高度4,000mからル・アーブル港の中心に向けて15発の巨大爆弾を投下した。
 爆弾は港の柔らかい海底深く潜り込むと、同時に爆発した。
 爆撃機の編隊には写真偵察機が後続し、爆弾投下直後に港の上空1,000mからその効果を何枚も写真撮影することになっていた。
 驚くべきことが起きたのだ。
 合計75tの爆弾が海底に潜り込み爆発した瞬間、港の海面は直径400mにわたり猛烈な勢いで高く盛り上がった。
 そして次の瞬間、海面の盛り上がり部分は突然沈下し、そこから港全域に向かって同心円状に高さ6〜7mと思われる「津波」が襲いかかったのである。
 津波が引いた後のル・アーブル港は目を覆う惨状と化していた。
 写真偵察機の撮影した何枚もの写真を調べた結果、津波は海岸から最大で300mも陸上に到達しており、多くの建物は損壊し、岸壁から100mの地点に小型の船舶が置き去りにされていた。
 勿論港の海面上は目も当てられない惨状と化していた。
 出撃準備で岸壁や港の要所に集結していた多数の魚雷艇の姿はどこにも見られなかった。
 ただ港の海面一杯に魚雷艇らしき残骸を含め、多数の小型船の残骸がバラバラに浮かんでいるだけであった。
 また岸壁から陸上に向かっても多数の小型船の残骸が打ち上げられていた。
 15発の地震爆弾は海底深く潜り込み爆発し、その特有のハネ上げ効果(地震効果)によって機雷も魚雷も爆雷も不可能な、一網打尽の艦艇攻撃を成功させたのであった。
 これも一種の応用した水雷兵器ということができよう。
 この爆撃では、爆撃時に港内に停泊していた中型、大型の船舶も全てが半没あるいは全没の被害を受けていた。