【P27】
 南太平洋のカロリン諸島は17世紀、スペインのフランシスコ・ラスカノが国王カルロス2世の名にちなんで、この散在した諸島をカロリン諸島と名づけた。
 その後スペイン領となるが、米西戦争の財政難から苦しまぎれに、これをドイツへ売ってしまった。

【P50】
 当時、わが海軍は米国側の通信を傍受して、ある程度まで彼らの行動を予測することが可能となっていた。
 埼玉県の大和田通信隊は、わが海軍が建てた敵側無電の傍受センターであった。
 そこでは高いアンテナを林立させ、空中をとびかう米軍同士の会話をキャッチしようと、懸命の努力を傾けていた。
 たとえ、わずかのヒントでも、敵空母の動きを知る重大な鍵となり得るからである。
 現に作家の阿川弘之氏は、当時、海軍中尉として同様の任務についている間に、中国側の無電により英空母イラストリアスのインド入港を、ズバリと言い当てている。
 昭和12年、武蔵野の原野に建てられた大和田通信隊の能力はすばらしいもので、太平洋各地におけるどんなに弱い電文でもキャッチできた。
 入手する電文は、延べにして1日数千通、これを1日3回の定期便と直通電話とにより、霞ヶ関の東京通信隊に送りだす。
 赤煉瓦の海軍省の建物では語学を専攻した文科系の士官が、タイピストを使ってその暗号文を分析するのである。
 東京通信隊は、連合艦隊の第1連合通信隊に属し、わが海軍が誇る通信のメッカだった。

【P96】
 内地の通信隊は攻撃の直後、敵側の無線傍受につとめ、20日午前5時58分、ウルシー泊地の司令官があわてて警戒警報を発令したことを知っていた。

【P106】
 駆逐艦3隻は転覆沈没、空母サン・ファシント、モンテレイ、カウペンスの格納庫では、飛行機がぶつかりあって火災が発生した。
 このとき第3艦隊は146機の飛行機を失い、790名の将兵が死亡した。