【P177】
 “逃げる奴には当たるものではない、とにかく近い奴を撃つことだ”――と、私は砲術学校の対空射撃講堂で教官から受けた注意を頭に入れて、次々と目標を決めて攻撃していった。
「(前略)敵艦攻8機撃墜(後略)」

【P180】
 この日の敵機は、我々が電探で捕捉するひまもなく急襲してくるという、敵ながら天晴れな戦法(後略)。

【P192】
(前略)我々の8センチ砲は7,100メートルが最大射程である。

【P196】
(前略)イボー山電探(後略)。

【P205】
 この後陸戦関係者は千葉県館山海軍砲術学校に入る(後略)。
(略)
我々は一般兵科では第三期生であり、教官たちはその一、二期の人が多い。

【P208】
そして5月1日には、予定どおり少尉に任官した。
 6月に入ると、友人たちは毎日のように次々と、各自の配置や任地が決まって戦地へと出発していく。この頃私は、武山(神奈川県三浦半島)海兵団に勤務することになった。

【P210】
 (前略)昭和19年9月13日付でいよいよ私にも命令が出た。

【P214】
(前略)新潟の田舎から会いに来てくれた60歳近くの父後略)。