ある巨人戦闘機の墓標 ― 財政に押し流された高性能
 大空のエピソードに収録

【P16】
 タ弾(弾頭の形状にちなむ「楕円弾」の頭字が語源)はもともと爆発力を前方へ集中させる、ドイツ考案の特殊構造弾を指したが、大戦中は空対空の親子爆弾の呼称だった。
 一発750グラムの小型弾(本来はこれがタ弾)を76発収容した50キロ(実重量は約60キロ)タ弾が多用された。
 海軍の3号爆弾と同様のアイディアだ。

【P47】
 帰投(「帰港投錨」の略。帰還の意味の海軍用語)

【P81】
 嶋田繁太郎海軍大臣の名により昭和18年5月29日付で、予備学生の異例な募集が告示された。
 大学(予科を含む)、高等専門学校を卒業または卒業見込みの28歳未満の者が対象とされ、飛行科、整備科、兵科の予備士官を大量に採用するのが目的だった。

【P84】
 渡辺鉄工所が九州飛行機に社名を改める、20日ほど前のことだった。

【P138】
 「月光」工藤重敏飛曹長
 第52期操縦練習生を卒業し、艦上爆撃機の操縦員から陸上偵察機にうつった。
 海戦時には台南航空隊の陸偵分隊員として、フィリピン攻略戦に従事、以後、著名な台南空零戦隊とともに蘭印の南進作戦を続け、昭和17年(1942年)6月上旬にラバウル東飛行場に進出した。

【P142】
 「月光」林英夫少尉
 そんな狭き門に挑んだ逸材の一人が、京都府立第2中学校から昭和13年2月に2期生に合格の林英夫4等航空兵だった。