昭和18年11月30日午前8時、初めての軍艦旗掲揚である。
 この日、海防艦三宅は、横浜、日本鋼管鶴見造船所より海軍省に引き渡され、正式に日本海軍の艦艇として登録され、第1海上護衛隊に編入された。
 艦は静かに岸壁を離れ横須賀に向かう。
 その日、横須賀軍港、長浦錨地に警泊、兵器整備、弾薬、糧食搭載等、出撃準備のため12月4日まで在泊した。

【P25】
 船団入港の報とともに高雄に向かったが、途中、
 「船団護衛任務を解く。高雄南方海上で久栄丸被害沈没、ただちに哨戒、敵潜掃蕩の任につけ」
 との命令を受信。
 高雄から出撃した松風ほか2隻の駆逐艦に合流、全速力で現場に向かった。

【P26】
 12月28日、風はますます激しく、風速20メートルに達している。
 ようやく現場に到着した各艦は、松風の指揮の下、配置につき、包囲隊形の環を縮めながら必死の哨戒をつづける。
 午後に入って、ついにわが三宅の水中探信儀は敵潜水艦を捉えた。

【P27】
 電撃のごとき機雷長の命令を受けて、右舷に1発、つづいて左舷に1発、にぶい爆発音とともに、海面は刷毛で掃いたように白く波立ち、不気味な震動が艦底を揺るがす。
 さらに右に1発、つづいて4発目投射、同時に3発目が爆発、瞬間、異常な誘爆が起こり、荒れ狂う海面がむくむくと盛り上がると見る間に、水柱が海面高く立ち上がった。
 「やった!」
 期せずして「万歳!」の叫びと、どよめきが艦中に漲る。
 「反転、攻撃続行」
 艦長の冷静沈着な指揮がつづき、180度旋回して、ふたたび爆雷投射、海上にはおびただしい重油が広範囲に拡がっている。
 ついに敵潜水艦を仕留めた。
 
【P31】
 ひさしぶりの寛いだ気分でメートルをあげているうち、突然、
 「出港用意、配置につけ」
 が下令、つづいて、「高雄南方海上に敵潜水艦出現、哨戒掃蕩」の出撃命令である。
 第一種軍装を着替える暇もなく配置につくと、在港艦船からも一斉に、「出港用意」のラッパが鳴りひびき、駆逐艦松風から順次出航していく。
 三宅も遅れじと後に続くが、港外に出るとまたもや荒天模様である。
 
【P34】
 1月11日、約1ヵ月ふりに母港呉に帰った。
 呉在泊中に、新たに電波探知機を搭載、電測員が乗艦してきた。
 わが三宅にも電波兵器がと、艦内からおおいに期待されたが、対潜、対空用の本格的レーダーではなく、逆探知機と呼ばれ、敵の発信するレーダー電波をとらえる兵器であった。
 しかも敵潜水艦の使用する水上レーダーとは波長が合わず、役立たずの代物であった。

【P54】
 国の命運がかかるとまでいわれた、虎の子石油船団護衛の大任を果たした三宅は、3月27日、門司岸壁を解纜、呉軍港に向かった。

【P55】
 この呉在泊中に、待望の22型電波探信儀が搭載された。
 後部マストに二つのラッパ型のアンテナを持つレーダーである。
 この電波探信儀は、極超短波(センチ波)を発受信する水上用レーダーであるが、使用する兵器がなく脾肉の嘆をかこっていた電測員にとって、待望の兵器であった。
 海軍工廠の係員によって、昼夜兼行で工事が進められ搭載を終えたが、意外にも各機器の配線図、使用説明書等の軍機書類は、戦艦大和の通信長から受け取れとのことであった。
 戦艦大和は1月下旬から呉工廠で入渠、修理のため、呉に在泊していたが、このときは大桟橋に横着けして整備中であった。
 航海長の名代として大和の通信長から書類を受領して、初めて、わが探信儀は大和から下ろされて、三宅に搭載されたものであることを知った。
 いわば大和のお古であった。
 もっと精度のよい改良型が大和に搭載され、旧型が三宅に回されたのか、あるいは海軍工廠に予備がなく、連合艦隊に編入されてすぐ戦場に出る三宅に、とうぶん出撃しない大和の兵器を間に合わせたのか。
 いずれにしても、このときは大和のお古と知って、小型艦の悲哀をしみじみ味わったものであった。

【P90】
 指揮官に要請、許しを得てただちに反転、館山に引き返し、18日夜半、館山港に帰港。
 錨も入れず、出迎えた内火艇に患者を移乗させ、全速力で船団を追ったが、呉で積んだ22号電探がさっそく役立ち、暗黒の海上に船団をキャッチ、20日、ようやく戦列に復帰した。

【P90】
 真夏の、緑したたる瀬戸内の島影に見入りながら、生還の喜びを噛みしめる乗組員の気持を現わすかのように、三宅は艦体を震わせながら快調に航走、8月5日、呉軍港に帰投した。

【P91】
 在泊中は機関、兵器等の整備補給に明け暮れたが、特筆するべきは、待ちに待った対空用13号電波探深儀(レーダー)を搭載、後部マストにアンテナ、後部電信室に送受信機が設置された。
 さらに、対空用25ミリ機銃3連装3門、単装十数門が増設され、従来の2連装3門を加えて、三宅の外容は、さながらはり鼠のような姿となった。
 戦局に鑑み、対空装備の強化に重点がおかれたようであった。
 また艦橋前に前投対潜兵器として、8サンチ迫撃砲も1基装備された。

【P146】
 すでに空も海も陸もすべて敵地、ひたすら大陸沿岸コースをぎりぎりまで陸地に近寄っての航海だが、時折発生する霧に助けられ、1月19日、海南島三亜に入港した。

【P178】
 今回は両船とも速力も速く、海上も波穏やかで、厳重な警戒航行下であるが順調な航海がつづき、5月26日、大東湾沖に到着した。
 両船が湾内に入港するのを見届けて、三宅は湾口から反転、命により南下、内地に向かうこととなった。
 転針してから約1時間ぐらい経過したとき、突如、緊急ブザーが鳴り響いて、
 「配置につけ」
 「対空戦闘用意」
 遥か後方1万メートルくらいの上空に、B24一機が三宅を追尾してくる。
 もちろん弾丸が届かないので、各砲台とも固唾をのんで睨むだけである。
 そのうち、遥か雲間の敵機がなにか物体を落とした。
 と見る間に、その物体が三宅めがけて滑るように近づいてくる。
 魚雷に翼をつけたようにも、小型飛行機のようにも見える。
 噂のロケット弾か、
 「面舵いっぱい!」
 艦長の咄嗟の操艦で、大きく右に傾いて曲がる三宅の左舷の海中に落下、爆発して水柱を上げたが、艦体、人員に損害はなかった。
 しかし、高角砲のまったく届かない超高度からの攻撃で、1発の応戦もできないうちに敵機は姿を消した。

【P180】
 さらに午後3時頃、こんどは敵潜水艦からの魚雷攻撃を受けた。
 この日、海面は波が高かったが、その波と波の間を縫って、ピョンピョンと兎飛びをしながら三宅めがけて走ってくる魚雷を発見、「配置につけ」の発令の暇もなく、艦長は咄嗟に、
 「面舵いっぱい」
 と叫び、右へ転舵すると同時に黒色の魚雷が左舷舷側を抜けて消えた。
 ただちに反転、対潜攻撃に移ったがついに逃がしてしまった。
 今回も間一髪で魚雷は外れたが、まったく航跡がなく、ただ魚雷の深度が浅いのと波が高かったので発見が早く助かった。

【P187】
 三宅は磁気機雷、特に音響機雷を警戒して、速力を半速に落としてゆっくり進んでいく。