【P37】
 当時、大本営海軍部では諜報によって、7月2日にサンディエゴを出港した37隻の米輸送船団と、別に7月14日に米西岸を出港した輸送船団が、8月上旬頃、豪州東方海域に到着するであろうという情報も得ていた。

【P38】
 その後8月4日に海軍部第一部長は、敵通信の活発化から、敵は何らかの企図を有するものと判断して、各艦隊参謀長あてに、この情報にもとづく警報を発していた。
 第八艦隊司令部は、7月下旬以降の南東方面における敵通信が活発化してきたという警報を、八通(第八通信隊)から受けていた。
 (中略)
 第5空襲部隊では、8月4日の警報以来、ツラギ南方海面、ニューギニア北東海面、ラバウル東方海面の綿密な哨戒飛行を実施していたが、敵機動部隊の動静については、なんらの情報も得てはいなかった。

【P39】
 そこで7月6日に、第13、第11設営隊約二千五百名と警備の陸戦隊約二百五十名が同地に上陸して、さっそく飛行場の建設に着手した。
 (中略)
 設営隊は、もっぱらダイナマイトで障害物を排除し、あとはつるはしやスコップを振るって、もっこを担ぐという、いわゆる人海戦術を繰り返した。
 (中略)
 しかしながら、第13、第11設営隊員二千五百名は、赤道直下の炎熱を物ともせず、日本男児の心意気を示して人海戦術を繰り返し、遂に8月5日にはルンガに飛行場を概成した。

【P40】
 第5空襲部隊(25航戦)の8月7日現在
  四空   陸攻
  台南空  零戦 陸偵
  二空   零戦 艦爆
  十四空派遣隊 2式飛行艇
  横浜空  97式飛行艇 2式水戦

【P41】
 当時、南東方面の第11航空艦隊は、司令部をテニアンに置いて、つぎのような配備にあった。
  22航戦=内地  美幌空・陸攻 元山空・艦戦、陸攻
  24航戦=内南洋(ウエーク、ルオット、タロア、イミエジ) 千歳空・艦戦、陸攻 一空・艦戦、陸攻 十四空・飛行艇
  25航戦=南東方面(前述のとおり)
  26航戦=内地、サイパン、テニアン 三沢空・陸攻 木更津空・陸攻 六空・艦戦、陸偵

 なお、第3南遣艦隊の21航戦、23航戦は、南西方面のラングーン、ケンダリー、クーパンなどに配備されていた。
  21航戦=鹿屋空・艦戦、陸攻 東港空・飛行艇
  23航戦=高雄空・陸攻、三空・艦戦、陸攻

【P47】
 さらに午前6時には、第6空襲部隊指揮官に対し、テニアンに在った三沢空の即時可動の陸攻9機を直ちにラバウルに進出させ、第5空襲部隊指揮官の指揮を受けるように命じた。
 つづいて午前10時には、三沢空の陸攻全力でのラバウル進出を命じた。
 (中略)
 そこで、第6空襲部隊も投入して全力攻撃を行なうとともに、司令部をラバウルに進め、外南洋部隊も併せ指揮することにした。

【P58】
 第4空襲部隊(24航戦)
 第5空襲部隊(25航戦)
 第6空襲部隊(26航戦)

【P59】
 すなわち、南西方面部隊の東港空の飛行艇に対しては、8月26日に南東方面部隊への進出を命じ、翌27日には機動部隊に対して、戦闘機の大部をブカ基地に派遣することを命じた。
 そこで機動部隊の零戦29機は艦攻3機の誘導で、28日、ブカ基地に進出した(9月4日、母艦に復帰)。
 さらに8月31日には、21航戦の鹿屋空、東港空を南西方面部隊から除いて南東方面部隊に編入した。
 基地航空部隊指揮官は、第4空襲部隊の一部戦闘機および飛行艇を、7月頃から南東方面の第5空襲部隊に派遣していたが、8月26日にはさらに1個分隊の増派を命じた。
 この戦闘機隊増派のために、護衛空母春日丸は「大和」直衛の任務を解かれ、駆逐艦「曙」をともなってタロアに急行し、同戦闘機隊をラバウルに進出させた。
 また、進出の遅れていた六空(第6空襲部隊)の戦闘機15機は、8月30日、陸攻1機の誘導でトラックからカビエンに空輸し、翌31日に13機がラバウルに進出した。
 カビエン未着の零戦2機は、途中からトラックに引き返していた。
 31日には第4空襲部隊に対して、一式陸攻1個分隊を約2週間の予定をもってラバウルに派遣し、第6空襲部隊の指揮を受けるように下令した。

【P61】
 昭和17年の前期、南西方面部隊にはシンガポールのセレター飛行場に第四十海軍航空隊、ジャワのスラバヤ飛行場に第三十三海軍航空隊、セレベスのマカッサル飛行場に第三十五海軍航空隊、フィリピンのマニラ飛行場に第三十一海軍航空隊と4個の航空隊が展開していた。
 これらの航空隊は、それぞれ九九式一号艦上爆撃機1個中隊、9機程度を保有していた。
 またこれとは別に、四十空と三十三空には、九七式2号艦上攻撃機(脚の出た九七式艦攻)がほぼ同数配備されていた。
 そしてこれらの飛行機隊は、占領直後の南西方面各海域の、哨戒や対潜直衛の任務に従事していた。
 (中略)
 この敗戦にともなって連合艦隊司令部では、ミッドウェー海戦後の部隊の編成替えをすることになった。
 そのために、私たちの所属していた四十空と三十三空の基地艦爆隊は、転進を命じられることになった。
 6月下旬、三十三空の艦爆隊は、スラバヤからシンガポールのセレター飛行場に集合し、四十空の艦爆隊と合流した。
 そして合流した搭乗員の半数は、艦隊乗組予定者として内地の佐伯空に、残り半数の搭乗員はマニラの三十一空に、それぞれ飛行機とともに転勤することになった。
 その結果、7月中旬における南西方面部隊の基地艦爆隊は、三十五空(マカッサル)の艦爆12機と、三十一空(マニラ)の艦爆16機だけとなった。
 一方、南東方面に対しては、昭和17年5月31日に、横須賀海軍航空隊で第二海軍航空隊が新編され、編成完了とともに8月上旬、南東方面のラバウルに進出することが予定されていた。
 二空は、戦闘機16機と艦爆16機から成る部隊で、8月初旬、護衛空母「雲鷹」に飛行機その他の基地物件を搭載して横須賀を出港、8月6日にラバウルに進出した。

【P70】
 そこで南西方面のマニラに在った三十一空艦爆隊を南東方面に派遣して、第6空襲部隊の指揮を受けるように措置された。
 (中略)
 9月27日、三十一空艦爆隊はニューアイルランド島の北西海域で「大鷹」を発艦し、9機がラバウルに、3機がカビエンに進出した。
 さらに「大鷹」搭載中の旧式の九六艦爆3機も、対潜哨戒用としてラバウルの二空に空輸された。

【P71】
 こうした逼迫する状況下に、10月25日には、空母「飛鷹」搭載の零戦16機と艦爆17機がラバウルに進出し、第5空襲部隊の指揮下に入った。

【P72】
 これにともなってこれまで第5空襲部隊の作戦指揮下にあった「飛鷹」派遣隊は、第6空襲部隊に変更されて10月31日にブインに進出するように命じられた。
 そして、南西方面から派遣されていた三十一空(954空)は原隊復帰し、艦爆搭乗員全員は582空に編入された。
 また、マカッサルに在った三十五空(956空)は、11月10日付で南東方面基地航空部隊の582空に編入されることになった。
 昭和17年3月以来、ニューギニア方面の作戦を担当し、戦力の損耗はなはだしかった第5空襲部隊(25航戦司令部、251空、702空、801空)は、11月10日に第1空襲部隊と交代して、部隊再編のため、11月12日にラバウルを出発して、内地に向かうことになった。

 11月1日、戦時編成の一部改訂にともなって、航空隊の名称が数字番号に改められた。
 新しい呼称では、百位が機種別で、1−偵察機、2および3−戦闘機、4−水上偵察機、5−艦上爆撃機および艦上攻撃機、6−母艦航空隊、7−陸上攻撃機、8−飛行艇、9−海上護衛航空隊、10−輸送機となった。
 十位は鎮守府別で、0ないし2−横須賀、3および4−呉、5ないし7−佐世保、8および9−舞鶴となった。
 一位は常設か特設の別で、奇数−常設航空隊、偶数−特設航空隊となった。
 (中略)
 11月9日に発令された基地航空部隊軍隊区分のうち、ラバウル方面の部隊は、つぎのと
 新名称  旧名称
 202空  三空
 204空  六空
 251空  台南空
 252空  9月20日編成
 253空  鹿屋空から分離
 452空  五空
 582空  二空
 701空  美幌空
 702空  四空
 703空  千歳空
 705空  三沢空
 707空  木更津空
 751空  鹿屋空
 752空  一空
 753空  高雄空
 755空  元山空
 801空  横浜空
 802空  十四空
 851空  東港空
 902空  二十一空
 932空  三十三空
 934空  三十六空
 936空  四十空
 952空  十九空
 954空  三十一空
 956空  三十五空(【P72】の3行目参照)
おりであった。
 第1空襲部隊(21航戦)
  751空・・・・・・・・・・・・・・・・陸攻
  252空(本隊)・・・・・・・・・・零戦
  253空・・・・・・・・・・・・・・・・零戦
  582空(艦爆隊欠)・・・・・・零戦
 第6空襲部隊(26航戦)
  705空・・・・・・・・・・・・・・・・陸攻
  707空・・・・・・・・・・・・・・・・陸攻
  703空(本隊)・・・・・・・・・・陸攻
  204空・・・・・・・・・・・・・・・・零戦
  582空・・・・・・・・・・・・・・・・艦爆
  956空・・・・・・・・・・・・・・・・艦爆(旧三十五空の艦爆で、10日以降、582空に編入)
  飛鷹派遣隊・・・・・・・・・・・零戦、艦爆
 飛行艇隊
  851空・・・・・・・・・・・・・・・・飛行艇
  802空派遣隊・・・・・・・・・・飛行艇
 昭和17年11月5日、ニューアイルランド島の北西海域から空母「雲鷹」を発艦してラバウルの東飛行場に進出した私たちは、内地で想像していた以上に、ソロモンの戦況が逼迫していることを痛感させられた。

【P77】
 2号艦爆には、新しく採用された角度指示器が装備されている。

【P78】
 改編された582空艦爆隊は、ここに名実ともに日本海軍唯一の基地艦爆隊となった。

【P79】
 4月1日には航空部隊の改編があり、四空戦闘機隊は台南空に編入された。

【P88】
 また、14設の一部332名および15設の一部228名は、飛行場の整備に当たっていた。
 なお14設、15設の設営隊員の大部は、南海支隊の道路構築、弾薬、糧食の前送に協力中であった。
 (中略)
 9月19日、八通(第八通信隊)は通信情報として、近くニューカレドニア方面を中心に、敵有力部隊策動の気配濃厚と報じた。
 

【P91】
 9月25日、豪州軍第25旅団がイオリバイワを奪回した。

【P92】
 ココダ道を進撃した豪州軍第25旅団は、11月2日、ココダを占領した。
 この間、連合軍第5空軍は、南海支隊に熾烈な銃爆撃を加えて、第25旅団の作戦を支援した。

【P94】
 そこで、連合軍は、14日、豪州軍第7師団(第16、第21、第25各旅団)および米軍第32師団(第126、第127、第128各連隊)に対して、クムシ河からサデスト岬間の日本軍を攻撃するように発令した。
 両師団の作戦境界は、おおむねギルワ河の線とし、第7師団はゴナおよびサナナンダに、第32師団はブナに向かって三正面作戦を構成し、16日を作戦開始日と定めた。
 (中略)
 連合軍の各部隊は、予定どおり16日の午前6時、いっせいに各部隊の進撃を開始した。

【P95】
 一方、豪州軍の第7師団は予定どおり攻撃を開始し、第25旅団はゴナに、第16旅団はササナンダに向かってそれぞれ前進した。
 わが南東方面部隊および第17軍では、連合軍のブナ地区への策動は、連合軍の放送傍受などによってあらかじめ予期していたが、このように、2個師団もの大兵力をもって攻撃してくるとは、全く予期していないことであった。

【P102】
 しかし、「鵯」はよく奮戦してB17一機を撃墜、捕虜1名を収容して午後10時30分頃、ラエに到着した。

【P122】
 たのみの空二号無線機は、混信、空電がひどく、空間状態が非常に悪い。
 (中略)
 そのうえ、豪州空軍の妨害電波が邪魔をする。
 妨害電波は強力なので、ひっきりなしに空間を塞ぎ、電波を発射しつづける。

【P128】
 不時着時の激しいショックで、私は気を失ってしまった。
 
 何分たっただろうか?
 何十分たったのだろうか?
 朦朧として夢の中を彷徨っている私を、「おーい、おーい」と、だれかがどこか遠くから呼んでいるようだ。
 景色のない夕暮れのような黄色い世界の中で、私はぼんやりと佇んでいる。

【P178】
 被害=自爆・艦爆3機。未帰還・艦爆2機、零戦3機。
 伊8潜は1月23日午後10時30分、カントン島飛行場を砲撃したが、効果は不明であった。
 同艦は続いて31日午前0時40分、カントン島環礁内の飛行艇母艦を砲撃して数発の命中弾を認めたが、敵機の制圧を受けて避退潜航したために、その後の状況を確認することはできなかった。
 (中略)
 在ラバウルの基地通信隊は、日頃傍受している米軍哨戒機の呼び出し符号、送信の癖などをすっかり盗用し、米軍哨戒機を装って、わが企図とはまったく反対のガダルカナル島東方海域に『日本機動部隊現わる(ママ)』と、在ガダルカナル基地へ報告し、わが企図を秘匿したといわれている。

【P180】
 米軍資料によれば、在ガダルカナル島米軍部隊指揮官は、エスペランス岬付近で日本軍の補給路を遮断すると同時に、その背後を脅威する目的で2月1日朝、ガダルカナル島攻撃隊(駆逐艦4隻)支援の下に輸送駆逐艦1隻、戦車揚陸艦5隻をもって、歩兵1個大隊と所要の軍需品をベラヒュー海岸に揚陸させた。
 輸送部隊は2隊に分かれてツラギへの帰途についたが、そのうちの1隊が日本軍艦爆隊の攻撃を受け、駆逐艦1隻が沈没、1隻が至近弾によって損傷した。
 なお、米軍側の公式記録には、この日、日本機21機を撃墜したが、ガダルカナル島へ揚陸する上陸用舟艇を援護中の駆逐艦デハーベンが撃沈され、駆逐艦ニコラスが損傷、8機を失ったと述べている。

【P209】
 この七節、八節の説は、早耳屋の前田上飛曹が吹聴した話で、おおかたは設営隊のおっさんか基地員の古顔から聞いてきた話だろうが、真偽のほどは定かではない。

【P233】
 ここに初めて、角田飛曹長によってP38撃墜の目的を貫徹することができた。

【P236】
 角田飛曹長ほか4機は、敵1機を追撃し、これに一撃をあたえた。

【P238】
 5月8日(土)
 第5回コロンバンガラ輸送の駆逐艦「親潮」「黒潮」「陽炎」の3隻は、輸送を終えてブラケット水道を西航し、ファーがスン水道に向けようとしたとき、米軍敷設の機雷に触雷して、まず「黒潮」が沈没し、触雷のため航行不能となった「親潮」と「陽炎」は、午前9時19分から敵機19機の攻撃を受けた。
 両艦は共に砲側弾薬の全部を撃ち尽くして奮戦し、「親潮」は2機を、「陽炎」は3機(うち不確実1)を撃墜した。
 しかし両艦ともに、敵機の空襲による被弾が激しく、午後3時過ぎに沈没した。

【P246】
 昭和17年11月にラバウルから内地に帰還して、兵力再建に努めていた第5空襲部隊の251空、702空は、27航戦に編入され、北方作戦に転じた801空を除いて、5月初旬、ふたたびラバウルに進出してきた。
 すなわち、第5空襲部隊は4月下旬から移転を開始して、25航戦司令部(司令官上野敬三少将)は、5月1日に将旗をラバウルに掲げた。
 251空の零戦隊は、特設空母「沖鷹」などでトラックに進出したのち、5月10日に60機(うち1機不時着)を空輸によってラバウルに進出させた。
 251空の二式陸偵(夜戦転用予定機を含む)10機は、陸路トラックなどを経由して、空輸により5月17日までにラバウルに進出した。
 702空の陸攻隊50機(うち2機、途中で大破)は、木更津から同じように空輸によって、5月10日までにラバウルへの移動を完了した。

【P247】
 第5空襲部隊のラバウル進出に伴って、第1空襲部隊の内地転進、再建訓練が勘案されて、5月4日に基地航空部隊命令が発令された。
 南東方面関係分の兵力配備および主要任務は、つぎのとおりであった。
 ○151空(直率)=ラバウル。要地偵察(151空は、5月15日付で、第5空襲部隊に編入された)。
 ○第1空襲部隊(253空、755空、802空)=マーシャル、ギルバード、ウェーク、ナウル方面。配備基地方面の哨戒、敵攻略部隊および来襲部隊撃滅。
 ○第5空襲部隊(251空、702空)=ラバウル、カビエン、ブカ、スルミ方面。東部ニューギニア、ソロモン方面の敵航空兵力の撃滅と哨戒および敵増援の阻止。敵機動部隊および来襲部隊撃滅。
 ○第6空襲部隊(204空、582空、705空)=ブイン、バラレ、ラバウル方面。ソロモン、東部ニューギニア方面の敵航空兵力の撃滅と哨戒および敵増援の阻止。敵機動部隊、攻略部隊の捕捉と撃滅。

【P248】
 この基地航空兵力のほかに、外南洋部隊麾下の938空の零観約13機、三座水偵約6機がショートランドに、958空の零観約15機、三座水偵約5機がラバウル、カビエン方面にあった。

【P266】
 大本営発表(昭和18年6月18日15時30分)
 (中略)
 (注)本戦闘をルンガ沖航空戦と呼称す。
 
 このルンガ沖の大戦果を最初として、今後、大本営発表において、海軍航空部隊による戦果に対して、「航空戦」という新呼称が用いられることとなった。

【P268】
 (注)羅府=ロサンゼルス

【P270】
 当時のわが海軍航空隊では、搭乗員達が報告する敵機撃墜の内容についてはいちいち厳しくチェックして、確実、不確実、協同撃墜などに区別し、累計されていた。
 敵機にちょっと煙を吐かせたぐらいでは効果不明で片づけられ、撃墜機数の中に入れてもらえなかった。
 (中略)
 しかも未帰還機の中には、204空戦闘機隊長宮野善治郎大尉をはじめ、さきの山本長官機遭難時の護衛戦闘機隊指揮官の森崎中尉や、私もよく知っていて、582空戦闘機隊の中では中堅どころまでに成長していた、後輩10期乙飛の福森大三一飛曹など、歴戦のパイロットたちも含まれていた。

【P299】
 2日、「龍鳳」飛行機隊の零戦11機、艦爆13機、751空派遣隊の陸攻12機、251空、204空の補充機22期、計58機がラバウルに進出した。
 また、この日の午前7時35分、早くもレンドバ港の敵重砲がわがムンダ飛行場に対して砲撃を開始した。

 7月3日(土)
 早朝からレンドバ港付近の敵重砲は、ムンダ地区を砲撃し、レンドバ島付近のブランチェ水道には、約40隻の海トラが認められた。

【P300】
 7月4日(日)
 早朝、敵駆逐艦2隻、海トラ8隻などがレンドバに入港して揚陸を続け、午前10時頃にはルビアナ島に続々と兵力を増強してきた。
 そしてレンドバ島重砲は、ムンダ方面を砲撃した。

【P303】
 7月6日(火)
 (中略)
 午前9時、南東方面艦隊司令部がブイン基地に進出した。

【P304】
 7月9日(金)
 (中略)
 この日、752空派遣隊の陸攻20機がラバウルに進出し、陸攻隊は約50機に増勢された。

 7月10日(土)
 第1基地航空部隊指揮官は、2航戦司令部および同飛行機隊の南東方面部隊編入にともなって「隼鷹」隊の進出完了時に「龍鳳」派遣隊を2航戦に復帰させて、第2機動空襲部隊を編成するよう予令した。

【P312】
 7月18日(日)
 (中略)
 18日、第1基地航空部隊指揮官は、作戦方針、作戦要領などを発令した。
 この命令による兵力部署および当時の可動兵力は、つぎのとおりであった(区分、指揮官、兵力配備、可動兵力の順)。
 偵察部隊=151空司令、ラバウル(中略)。
 また、陸海軍現地協定によって、ラバウルの夜間上空直衛は陸軍の担任となり、251空の陸偵隊(夜戦)はバラレ基地に進出して、ブイン地区の夜間上空警戒を開始することになった。

【P360】
 前にぶら下がっている空二号無線機の下から、埃がもやもやと立ちのぼり、むっとした南方特有の熱気が座席内に充満する。