【P27】
 16年5月、進級伝達式があって、海軍三等航空兵曹に任官した。

【P38】
 6月下旬、突然本部から呼び出しがあった。
 連合艦隊への転勤命令で、8戦隊の巡洋艦への乗り組みである。
 (中略)
 「田中、お前また鑓さんと一緒の『利根』で良かったね」と聞き、飛び上がった。

【P51】
 左足で前面の無線機(空三号型)を飛び出さないよう押さえ、右足で用具袋や弁当を押さえる。

【P90】
 151空には偵察第101飛行隊が配置されていて、飛行隊は隊長が指揮し、作戦の都合により、身軽に基地を移動できる態勢におかれていた。
 (中略)
 先任下士官の仕事は、士官の指示に従うことは当然であるが、隊務全般にわたるものである。
 飛行関係では、搭載兵器の整備、操縦・偵察(航法、艦型識別、無線等)の訓練、内務関係では、体育・衛生等の健康管理、衣食住のこと、日課の励行等がある。
 
【P98】
 5月5日、151空は第22航空戦隊に編入になり、司令部のある春島第一飛行場へ移動することになる。
 
【P118】
 5月5日、部隊は25航空戦隊から22航空戦隊に編入された。
 
【P158】
 昭和19年3月15日、第141航空隊が解隊し、偵察第3飛行隊(隊長・武田茂樹大尉)が配置されて、すでに鈴鹿第2飛行場に展開していた。
 7月10日、基地航空隊の改編があり、われわれ偵察101飛行隊の所属していたトラック島の第151航空隊が解隊された。
 もちろん飛行隊も同じ運命だった。
 このため、トラック島から引き揚げてきたわれわれが主体となり、他の部隊からも合流して新しく偵察第4飛行隊を編成し、第141航空隊に配置されることになった。
 141空には偵三と偵四の二つの偵察飛行隊ができたわけである。

【P131】
 夜間、日本の電探を避けるようにして山陰から突っ込んでくる爆撃機を、2基の探照灯で撃墜したことも2度ばかりあったと聞く。
 敵さん目が眩んでのおだぶつだ。
 山頂の見張員と探照灯員の連携の妙と言えよう。

【P173】
 零式艦上戦闘機の201空では、必死隊21名が選ばれ、「神風特別攻撃隊」と命名された。

【P183】
 11月1日、待望の昇進の日が来た。
 下士官から准士官(飛行兵曹長)への昇進であって、これまでのとひと味もふた味も違う嬉しさがあった。

【P222】
 比島から引き揚げてきた偵察第四飛行隊は、昭和20年2月1日付で第343海軍航空隊の所属となり、飛行隊長・橋本敏男少佐のもと、「紫電改」戦闘機隊の偵察隊として発足した。

【P223】
 特攻隊の刻印を解かれていない私は、宙に浮いた状態で二、三日過ごしたが落ちつかず、隊長へ申し出た。
 源田司令からの返答は早かった。
 「田中飛行兵曹長にはやってもらいたいことがまだある。したがって君の特攻については当分私が預かる」と。

【P278】
 大正12年11月25日
 (中略)
 14年10月 海軍四等航空兵を命ず
 14年11月 海軍三等航空兵を命ず。海軍二等航空兵を命ず
 14年12月 海軍一等航空兵を命ず
 16年5月 任海軍三等航空兵曹
 17年5月 任海軍二等航空兵曹、呼名変更で一等飛行兵曹
 18年5月 任海軍上等飛行兵曹
 19年11月 任海軍飛行兵曹長
 20年9月 任海軍少尉